みなさまの力を必要としています。
岡村一心堂病院の医師求人ページをご覧いただきありがとうございます。
岡村一心堂病院 理事長・院長の岡村暢大です。私は膵臓癌の告知を受けた父親の想いを継承するため2016年に帰岡しました。2017年より理事長に就任しこれからますます増加する「がんと心臓病」を軸に「かかりつけ病院」というキーワードを掲げ地域医療へ貢献するため邁進しております。
地域の中核病院として経験豊かな先生方の力を必要としています。医師が医療へ集中できるよう、働く環境、そして仕事を支える環境づくりにも力を入れています。
病院見学も歓迎いたします、遠慮なくお問合せください。先生方にお目にかかれることを楽しみにいたしております。
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・募集要項
- 募集要項
募集要項 | 募集診療科:全科(特に整形外科、リハビリテーション科、内科、脳外科、循環器科、外科医師) |
休日・休暇 | 日曜日、土曜日、祝日、年末年始等(但し365日外来のため振替制) |
有給休暇 | 6ヶ月後10日間、以降法定加算 |
保険等 | 雇用、労災、健康、厚生、財形、個人年金 |
給与 | 締切20日支払末日 |
昇給 | (原則)年一回5月 |
定年 | 60歳(再雇用あり) |
退職金 | 企業年金制有 (自己都合退職の場合は3年後より) |
選考 | 当院にて随時、採否決定は概ね1週間後、郵送します。 |
その他 | ・県外より着任費用当院負担・学会参加支援 [福利厚生]院内保育あり、勤続表彰(10年勤続はハワイ研修旅行) [親睦会行事]職員旅行、同好会(バレーボール、卓球、料理、ゴルフ、ソフトボール) |
岡山について
そして・・・
岡村一心堂病院屋上より撮影:晴れていると瀬戸内の島を見ることができます。そして私たちが地域医療を担う大切な場所です。
転職した医師よりメッセージ
実際に当院に転職した医師のメッセージをご覧ください。
● 総合診療科・外科 門田 一宣
● 泌尿器科 片山 泰弘
<総合診療科・外科 門田 一宣>
私は現在65歳となり前期高齢者の仲間入りをしたのですが、ここ岡村一心堂病院で充実した医師生活を過ごしています。
ここに至る経緯を簡単に述べてみます。
私は出身は岡山県倉敷市で高校まで地元で育ち、大学で京都に行った関係で留学などの期間を除き医局の人事で病院をいくつか移動し、ほぼ京都で生活してきました。
そのまま京都に居続ける選択肢もありましたが、一人暮らしの母が90歳と高齢になってきたこと、都会ではなく適度な(?)田舎での生活への憧れ、など漠然と岡山に帰ろうという思いはいつの頃からかありました。決め手となったのは娘に子供(私たち夫婦にとって初孫)が生まれることになり医師夫婦である娘の手助けをしたいという家内の意見です。家内の実家の徳島にも近いという利点もありました。
医局は円満に退局できることになりましたが、当然今後も医師としての仕事は続けるつもりでしたので、自分でいくつかの医師転職サイトに登録し病院を探すことにしました。これが2017年3月頃だったと思います。
在宅医療のクリニック、老健施設、リハビリ病院などの紹介を見ても、もう一つピンとこない自分がいました。外科医としてのスキルをもう少し発揮できる病院はないかと思っていたところ岡村一心堂病院を紹介されたのです。
2017年12月に病院を訪問し見学と面談を受けました。
予めホームページを見て病院25周年記念誌を隅から隅まで読んでいたので大体のことはわかっていましたが、実際に見てみると病院の設備は非常に充実しており、理念にも共感できました。会う人ごとに笑顔で挨拶してくれ、各職種とのチームワークがとても良く働きやすそうな病院という好印象でした。
幸い採用通知を頂き2018年5月1日に入職しました。
性格から馴染むのに時間がかかる人間ですが、今まで勤務した病院どこであっても真面目に勤務に励み、その時その時にベストを尽くすことを私のポリシーとして来ました。そうすることにより次第に組織に受け入れられることを学びました。
当院に来て外科のお手伝いだけでなく、以前から行っていた内痔核のジオン硬化療法を導入し症例数を増やしました。総合診療科として外来も担当しています。いくつかの委員会に所属したり役職を頂いたりしています。また産業医の資格を取らせていただき産業医としても動いています。
今では皆さんに受け入れて頂いていると信じています。
実際当院ではやりたい事はほとんどが望める環境が整っていると思います。コメディカルの方達は意欲がありとても協力的です。働きやすい病院であると断言できます。おすすめです。
あとどのくらい働けるかはわかりませんが、10年は頑張ろうと思います(勤続10年のハワイ旅行を目指して・・動機がやや不純)。
一緒に地域医療を盛り上げませんか!
門田 一宣 -もんでん かずのぶ-
社会医療法人岡村一心堂病院 診療局長
>>Next「老医の戯言」
<泌尿器科 片山 泰弘>
老医の戯言
私は現在78才ですがこれまで重ねて来た経験を活かし岡村一心堂病院の常勤医として元気に働いています。顧みますと医局生活10年、次いで自治体病院30年余、そしてこの岡村で13年と勤務医生活は悠に半世紀を越す長さになりました。
34才の時、さる自治体病院への出向は医局の人事、昭和50年代初めの事で勿論拒否権無く、迷う事も無い出陣でありました。新しい職場で片山流泌尿器科を開花?させつつ黙々と働く中、いつしか定年近くになりサテ次を如何するか、今度は自らの責任において決定せねばならず大いに悩みもしました。
その時次の勤務先を決めるに当り私が考えた事は
1)自分の健康状態
2)自分の希望と病院の要望
3)病院の設備など医療提供体制
4)病院の熱意
5)交通の利便性・気候
6)医局との関係
7)伴侶の意見
等でした。
決定に到る前後に去来した思いは別項にも認めましたが、私の条件7項目を総合的に判断し岡村一心堂病院に勤務する道を選択しました。爾来臨床の方は別項に記した如く順風に乗り院内外の評価も頂ける様になり、また院内での取組み、対医師会・対医育機関との話など愉快な事が沢山有りましたが、紙面の都合で割愛。また何処かでお会いした折続きをお話し致しましょう。
と言った感じでこの13年間を”医以楽之(医シテ以ッテ之ヲ楽シム)”を座の右に置いて勤務医人生を楽しんでいます。
今になって考えますと1)2)7)は当然の事として長い間私に変わらぬ恋文を送り続けてくれた病院の情熱即ち4)に”人生感意氣”じたと言えましょう。
自分の健康状態
漢の大将軍韓信の言に”人ノ車ニ載ル者ハ人ノ患ヒヲ乗セ、人ノ食ヲ食スル者ハ人ノ事ニ死ス”とあるが、請われて勤務するにしても入職すれば人の碌を食む身として先ず古稀迄は事無く責務を果たさねば仁義に悖ると、GF・CFを始め各種画像診断を受け甲種合格、先ず後顧の憂無く碌を食む決断が出来ました。
今では同年代に比べ元気な方と思っていますが、昭和18年生れ、戦後の食糧難の時代に育ち、中学校まで青瓢箪と揶揄されていた私、また大学入学以来厄年まで紅燈の巷を徘徊しつづけた私が、78才の今に到る迄この健康を保てたのは、結婚50年以上切れそうな凧の糸を懸命に操ってくれた伴侶の成せる業と感謝、これからは少くも傘寿まで岡村一心堂では医療に励み内では老妻の支えになろうと心掛ける日々であります。
医師の希望と病院の要望
就職を希望する医師とそれを求める病院はお互い見合結婚を目指す様なものであり、履歴書や求人情報が釣書・身上書の類と喩える事が出来ましょう。
平成の中頃までは病院のHPは稀でしたが、それでも臨床の傍ら学会や研究会等を通じて色々の病院の情報も得る事が出来、これも定年後の病院選択に役立ったと思っています。今は情報過多ですが興味ある釣書があれば早くお見合する事をお薦めします。自分の目で病院を視、職員の声を聴き雰囲気を肌で感じる事が肝要、釣書の裏側を観る目を持ちながら・・・・・・。
医局との関係
以前から60歳を過ぎて碌を食む場所を医局にお願いするのは自分の信条に悖ると考え、医局との柵の無い病院を選びました(岡村一心堂と母教室とは今迄無縁)が、後で教授を始め同門の連中は随分驚いたと聞きました。勿論入職後に院長と共に教授に面会し、事前に相談しなかった事をお詫びしました。これも今後の為に大切な事であります。
その後初めての常勤だった事もあり地区医師会の先生方に重宝され患者数・手術件数が年々増して来、古稀近い一人医長では対応困難な事態となり医局にお願いしてパートを頂く事3年、今では50歳余の先生と二人体勢となり、関連病院に加えて貰って現在に至っています。34才で医局を離れ、教授も2代代わりましたが母教室は有難いものです。
伴侶の意向
粗大ゴミには到らぬものの徐々に家庭内での地位低下が否めぬ我が身にとりこれの同意無くしてことは運べません。自治体病院定年の折、目に余る医師不足の東北地方、將又四国の南予等男の浪漫をかき立てる地への思いも具申しましたが、敢え無く否決されました。
その折些か鬱勃としたが、これも今思えば冷静な判断であり、これ迄の私のターニングポイントで常に適切な方向を示唆してくれた老妻に感謝している。
片山 泰弘 -かたやま やすひろ-
社会医療法人岡村一心堂病院 広報部長
担当診療科:泌尿器科
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